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比較項目 | En Famiile | 津田穣訳 | 二宮フサ訳 | 西条八十訳 | Nobody's Girl | The Adventures of Perrine | 菊池寛訳 | 水島あやめ訳 | 平井芳夫訳 | 大平陽介訳 |
冒頭のフレーズ | Comme cela arrive souvent le samedi vers trois heures, | 土曜日の三時頃はよくさうだが、 | 土曜日の三時ごろにはよくみえる光景だが。 | 土曜日の午後三時頃 | IT WAS Saturday afternoon about 3 o'clock. | The road leading to the Bercy gate of Paris was always crowded on Saturday afternoon. | 土曜日の午後三時頃 | 六月もおわり近くなった、ある日の夕暮れだった。 | 六月も終わりに近い、ある日のくれがたのことです。 | 「やあ、いいろばだなあ。」 |
ペリーヌの年齢表現1 | Pres de lui, assise sur la bordure du trottoir, se tenait une petite fille de onze a douze ans qui le surveillait. | そばに十二、三歳の少女が、歩道のふちに腰をおろして驢馬を見張っていた。 | そばに、十一、二歳の少女がひとり、歩道のはしに腰をおろして、ロバを見張っていた。 | そのそばには、十二、三才ぐらいの少女が、歩道のへりにこしをおろして、ろばをみはっていました。 | Close by,seated on the edge of the curb, watching the donkey,was a little girl of about therteen years. | On the curb near by, a little girl about eleven or twelve years old sat, watching the donkey. | 馬銜鏈の端つこには、十三歳位の少女が腰かけて、驢馬の番をしておりました。 | ろばのたづなをとっているのは、十三四才の少女だが、 | ろばのたづなをとっているのは、十三、十四才の少女ですが、 | 番をしているのは十二、三才、になる少女なのです。 |
マリの年齢 | bien que n'ayant pas depasse vingt-six ou vingt-sept ans, | さうして二十七、八歳をこえてはゐないのに | まだ二十六、七歳をすぎていないのに、 | まだ三十まえというのに、 | Although she was only about twenty-nine years of age, | She could not have been more than twenty-six or twenty-seven years old. | 年はまだほんの二十九歳位でしたが、 | - | - | 二十七、八才ぐらいの婦人が、 |
ペリーヌがピキニへ着く時間 | ou elle arriva a onze heures par une matinee radieuse et chaude. | ピキニに著いたのは朝の十一時、 | ピキニーには十一時に着いた。 | 汽車はお昼ちかくにピキニへ着きました。 | It was 12 o'clock when the train pulled in at the station at Picquigny. | She alighted from the train at Picquigny, clean and rested and happy. It was eleven o'clock in the morning. The day was warm and sunny. | 汽車は十二時に、ピッキイニーに着きました。 | 十二時きっかりに、汽車はピッキニの駅に着いた。 | よく日の正午少しすぎ、ペリーヌを乗せた汽車は、いきおいよくいなかの小さな駅にすべりこみました。 | ピキニ駅についたのは十一時でした。 |
■年齢が原文と違う考察
日本語にフランス語から訳した津田穣訳版と二宮フサ訳版は、原文が同じだとすると、当時(1941年)主流の数え年換算が行われている公算が濃厚です。
英語版からの重訳と思える菊池寛版は、原文の英文の通りの翻訳です。
そして、もう一つの英語版(Adventure of Perrine) からの翻訳と思える 水島あやめ訳、平井芳夫訳では、数え年換算をしているかどうかは原文を知らないため不明です。
なお、英語翻訳者の水島あやめ氏の場合、同時期に出版された小公女で比較しますと、
「セーラは、七才といっても、なりが大きいうえに、心もたいへんおとなびた子どもだったので、ちょっと目は十ぐらいに見えた」
その原文は
It
would have been an old look for a child of twelve, and Sara Crewe was only
seven.
となっていて、7才です。未換算です。小学生文庫の菊池寛は、そっくりそのまま、
「セエラ・クルウはまだやっと七歳なのに、十二にしてもませすぎた眼付を..」
と訳しています。
補記(2003/11/06)、 The Adventures of Perrine は非常にフランス語から忠実に訳されている事が分かりました。(上記表参照)
時制もそのままですし、水島あやめ版にあった追加エピソードも有りません。
したがって、第三の英語抄訳原文が有るかも知れないという可能性と、英語原文(またはフランス語以外の抄訳原文)が発見され
無い場合、水島あやめ氏が創作した内容を平井芳夫さんが利用した可能性も否定出来なくなりました。
■「ペリーヌが汽車でピキニへ着く時間」補足と考察
水島あやめ: 十二時きっかりに、汽車はピッキニの駅に着いた。
平井芳夫 : よく日の正午少しすぎ、ペリーヌを乗せた汽車は、いきおいよくいなかの小さな駅にすべりこみました。
菊池 寛 : 汽車は十二時に、ピッキイニーに着きました。
西条八十 : 汽車はお昼ちかくにピキニへ着きました。
徳永寿美子: おひるの十二時。ながいながい、馬車と汽車のたびがおわって、とうとうピキニーのえきにつきました。
大平陽介 : ピキニ駅についたのは十一時でした。
花輪莞爾 : (いつ着いたか時間の記述がない)
津田 穣 : ピキニに著いたのは朝の十一時、
二宮フサ : ピキニーには十一時に着いた。
Nobody's
Girl:
It was 12 o'clock when the train pulled in at the station at
Picquigny.
フランス原文:
ou
elle arriva a onze heures par une matinee radieuse et chaude.
ou 英語のwhere
に相当
elle は ペリーヌ を指す
arriva (=arrivera?)到着
onze は 11 heures は 時
par
のときに une 冠詞
matinee 午前 rarieuse 輝いた et そして chaude
暑い
ですから、
「まぶしく暑い午前の11時に彼女はそこへ着いた」
とでも訳せそうです。
英語版で12時にされているのが、尾を引いているのがわかります。
大平、花輪、津田、二宮の4氏はフランス語が達者な方です。多分フランス語の原文からの翻訳です。
水島、平井、菊池、徳永の4氏は、他の英語作品も訳しているので英語翻訳の人でしょう。
西条八十氏は、原文に11時とはっきり書いているのにお昼近くにと 訳しているのはなかなか興味深いです。
他の訳と見比べたのでしょうかね。最初のペルシー門のところは午後3時と訳しています。
■ 11時なのに12時に英語に翻訳時した理由
英訳した人が、11(onze)と12(douze)の間違いをしたと考えるより、この文を翻訳するときに、
親切に英訳時に時制をサマータイム向けに調整されたのかもしれないと思い当たります。
つまり、この時期は正確な太陽の位置では夏の11時ですが、サマータイムでは12時にする時間です。
原文には陽光の雰囲気とか暑さの記述があります。
しかし、この本の読者であるアメリカの子ども達はサマータイムが施行された世界に生きています。
すると、原文通り11時と翻訳すると、非サマータイムでの朝10時ですから、本来なら暑さもまだ暑くない時間ということです。
そうですから、ペリーヌが駅に降り立ったときの暑い日差し、まぶしい陽光と皮膚感覚的に表現が異なると、英訳者が考え、サマータイムを適用して翻訳したのではと、考えられると思います。